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【光を握るとは】映画『わたしは光をにぎっている』のあらすじと感想・考察

さて、今回は映画『わたしは光をにぎっている』について書いていきます。

際立つキャッチーなタイトルは、明治大正期に活躍した詩人・山村暮鳥の『自分は光をにぎつてゐる』をもとに付けられています。

そのタイトルのキャッチーさとは裏腹に、作中では静かに流れる街並みと微かに感じる光を温かい映像で届けます。

パンダ
パンダ
どれだけ時代に流されようと、光をしっかり握りしめようと思いました。

映画『わたしは光をにぎっている』のあらすじ

「言葉は光だ」

東京へ越してきた宮川澪は、どうしても都会に馴染めなかった。

そんな時、祖母・久仁子の「目の前の出来ることから、少しずつ」という電話越しの言葉を聞いて、居候先の銭湯を手伝い始める。

それから街の人との交流も生まれ友達も出来た。

やっと馴染んできたと思っていたが、街の再開発で銭湯が閉店することに。

銭湯も消え、街も消える。

耐え難い事実を前に、澪は「しゃんと終わらせる」決意をする。

映画『わたしは光をにぎっている』のキャスト・スタッフ

監督・脚本

監督・脚本は、中川龍太郎監督です。

2014年『愛の小さな歴史』が東京国際映画祭・スプラッシュ部門にノミネート、翌年『走れ、絶望に追いつかれない速さで』も同部門で上映され、2年連続入選を最年少で果たします。

本作も、モスクワ国際映画祭に特別招待されるなど注目を集めています。

キャスト

宮川澪松本穂香
三沢京介光石研
緒方銀次渡辺大知
島村美琴徳永えり
宮川久仁子樫山文枝

主人公・宮川澪を松本穂香さんが演じます。

松本穂香さんの自然体な雰囲気が本作と絶妙にマッチし、光石研さんの力強さが全体を支えています。それでいて後半は松本穂香さんの内にある強さが宮川澪として現れ、作品に厚みが感じられます。

主題歌

主題歌は、カネコアヤノ「光の方へ」です。

2016年に初の弾き語り作品『hug』を、2018年にアルバム『祝祭』を発表し、第11回CDショップ大賞の入賞作品に選ばれました。

主題歌「光の方へ」は本作のために書き下ろされています。

【ネタバレ】映画『わたしは光をにぎっている』の感想・考察

「場所」と「居場所」

中川監督がインタビューで語っているように、この作品は「場所」をテーマとした作品です。ですが、それは単なる物理的な場所だけではありません。

「おじいちゃんが脱衣所を覗いている」

このシーンは本作において、一つの象徴的なシーンであった気がします。

この行為は銭湯という「場所」においては確かにアブナイ行為であり、他者の「居場所」を侵す行為です。

ですが、自分の「居場所」を得るために何でも排除する行為は、同様にアブナイ行為と言えます。なぜなら、「居場所」を侵されるという感覚は実に主観的なモノだからです。

それは居場所を失った人が他者を排除する事件を起こし、連日世間を騒がせている様子を見れば分かるでしょう。

この「場所」と「居場所」の差異を意識しながら、再開発のシーンを観ると本作は一層厚みを増してきます。

銭湯や商店街、映画館といった「場所」が取り壊される事で、街に住む人々の「居場所」が一瞬で失われてしまう。

ただの「場所」も誰かの「居場所」。後半のドキュメンタリーシーンはまさしくその様子を描いていました。

「居場所」が烈しい暴風によって失くなった時、僕等はどうすればいいのか。

この作品は、「しゃんと終わらせて、そこで掴んだ微かな光を信じて歩いていく」大切さを教えてくれます。

光とは何か

「宮沢澪がお風呂に手を入れ、水に反射した光を掬う。」

このシーンは、本作のタイトルを具現化して表現した印象的なシーンでした。澪はあの場所で光を掴んで握り締めます。それは澪が居場所を掴んだ瞬間なのかもしれません。

また「言葉は光」というセリフに凝縮されていたように、光は突如語りかけてくるものです。

僕等は光っている状態にはあまり注意を払いません。だからこそ、光ったその瞬間にしっかり握りしめる必要があります。

本作にはカメラや天使といったモチーフが度々登場していました。それは「水のように変わっていく社会で、瞬間的な光を握り締めて、揺るがない居場所を捉える視座」を訴えているように感じました。

さいごに

何気ない日常に差し込む光を捉えた映画『わたしは光をにぎっている』について書きました。

ストーリーの良さはもちろん画の構成もさすが中川監督でした。

ぜひ、ご覧ください!